知里幸惠文学碑
彫刻家 空充秋氏作
知里幸惠さんの文学碑は“白御影石”と“さび御影石”で創られています。
1990年6月8日、旭川市立北門中学校前庭(知里幸惠さんが住んでいた場所)
に文学碑が建てられました。
『アイヌ神謡集』の冒頭の詩句が刻まれています。
「梟の神の自ら歌った謡」
"Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan"
シロカニペ ランラン ピシカン コンカニペ ランラン ピシカン
「 銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに。 」
『アイヌ神謡集』はアイヌの口承文芸であるカムイユカラをローマ字で表記し
美しい日本語に翻訳されてます。
毎年 6月8日の誕生日を「銀の滴降る日」として
知里幸惠さんを偲ぶ行事が行われています。
撮影 2005年6月8日 旭川市立北門中学校庭
第15回・銀の滴降る日の集いが開かれました。
吹奏楽部のファンファーレ
黙祷
旭川チカップニアイヌ民族文化保存会による
カムイノミ 神々に祈る儀式
ウコウック 神に感謝を捧げる儀式
同校吹奏楽部の演奏「銀の滴・金の滴」が流れ、参列者の献花の列が続きました。
知里幸恵(ちりゆきえ)さん 1903年(明治36年) 知里幸惠さんは北海道 登別生まれ 1909年(明治42年) 旭川チカプニ(近文)の伯母の金成マツさんに預けられ 祖母モナシノウクさんと三人で暮らした。 1918年(大正7年) 言語学者の金田一京助氏が近文を訪問 1921年(大正10年) 弟の知里真志保さんも加わり四人暮らしとなる。 1922年(大正11年) 5月上京 金田一家に寄寓。 9月 『アイヌ神謡集』の校正を終わらせた日 持病の心臓病で急逝。 |
「 ─趣味の文書室─ 」
こちらに 知里幸惠 神遥:『アイヌ神謡集』が掲載されております。
リンクさせていただきました。